カメラを買う時に「どのメーカーを買えば…?」という迷いは誰もが通る道です。
色々と選び方はあるのですが、ルーツや過去の動向を見てチョイスするのも面白いかなと思ってこんな記事を書いてみました。
キヤノン
カメラを分解して組み立てるほどのカメラ好きだった吉田五郎。
「国産ライカを作る」という目標の元、精機光学研究所を1933年に設立し、試作品である「Kwanon(カンノン:観音)」を作成しました。
しかしトラブルから吉田は僅か1年で精機光学研究所を去り、研究所は資金を提供していた御手洗毅が引き継ぎます。
医師であった御手洗は「カメラの事は分からない。君たち(社員)がキチンとやれば上手くいくし、キチンとやらなければ潰れる」という自らの欠点をオープンにして社員の信頼を得る事に成功しました。
吉田不在で技術者の居なくなった精機光学研究所は、日本光学工業株式会社(現ニコン)と協力を経て、1936年に「ハンザキヤノン」を発表。
世界でも通用するブランドを作るため、英語でCanon(キャノン:日本語で「聖典」「規範」「標準」という意味)、また試作品Kwanonと音が近い事からこの名前が付けられました。
順調にカメラメーカーとして成長する中で、御手洗が医師であった事からレントゲン用のカメラを展開。
続いて1954年に民放用テレビカメラ、1960年頃から電卓やコピー機などの事務用品の開発もスタートして、現在の運営体系となりました。
またデジタルカメラの移行により、イメージセンサーの制作も自社で行っています。
キヤノンが作っている製品はレントゲンやプリンターなど、ほぼ全てがカメラに繋がっています。
吉田五郎がこのまま精機光学研究所に残っていれば…というifを想像せずにはいられない
ニコン
三菱財閥の出資によって誕生したのが日本光学工業株式会社。ニコンの先駆けとなる会社です。
1917年に国産の光学兵器を開発するべく誕生し、ドイツから技術者を招いて、測距計や望遠レンズなどを手がけていました。
光学兵器を開発する中で、民間向けとして双眼鏡や顕微鏡、その中にカメラ用のレンズもありました。
当時のドイツの光学技術は世界トップレベルで、日本光学工業はドイツの技術者を招いてレンズを共同制作し、完成した最初のカメラ用レンズにAnytar(アニター)という名前を付けました。
Anytarを何度か改良するうちに、写真用のレンズに目処がついた日本光学工業は自社レンズのブランド名を、日本光学工業の「日」「光」。当時は語尾に「r」が付くレンズが多かった事から「Nikkor(ニッコール)」と名付けます。
Nikkor初の民間向けのレンズは、先ほどキヤノンの歴史で紹介した「ハンザキャノン」。
ストリートファイターのリュウとケンかよ。
1945年に第二次世界大戦にて日本は敗北。軍需産業によって栄えてきた日本光学工業の経営は悪化しました。
そして経営は双眼鏡や顕微鏡などの民間向けの製品にシフトしていきます。そんな中でスタートしたのがカメラ事業でした。
日本のカメラはアメリカ進駐軍に特に人気で、レンズの技術があった日本光学工業はカメラの制作に着手します。
そして完成したカメラが1947年に登場した「ニコンI型」。ニコンの名前はNikkorの時に近く、「日」「光」、語尾の歯切れをよくするために「n」が付けられました。
ニコンのカメラは堅牢性で有名な事を知っている人も多いと思います。それは軍需産業によって栄えてきたメーカーであった事から、堅牢性の高いカメラになることは必然だったのかもしれません。
寒冷地で他のメーカーのカメラが次々と動かなくなる中、ニコンのカメラだけが正常に動いたというのは有名な話。
創立当初の名前を大切にする姿勢に日本の国民性を感じる。
ペンタックス
日本光学工業が創立した2年後である1919年。ペンタックスの前身である旭光学工業が誕生しました。
最初はレンズメーカーとしてメガネや双眼鏡のレンズの製造。このノウハウを活かして、AOCO(アオコ:Asahi Optical Corporation)の名称で映画用レンズや写真用レンズの供給をスタートしました。
カメラ事業をスタートしたのは1952年で、キヤノンとニコンに比べるとかなり遅めのスタートです。
この遅れをカバーするために、他社がライカのレンジファインダーのコピーや改造を販売する中で、旭光学工業は一眼レフに目をつけ、国産初の35mm一眼レフカメラ「アサヒフレックスI」からスタートを切ります。
続いて2年後の1954年に「アサヒフレックスI」を改良し、シャッターボタンとレフレックスミラーが連動するクイックリターンミラー機構を搭載した「アサヒフレックスIIB」。
更に1957年には「アサヒフレックスIIB」を改良し、ペンタプリズムを搭載した一眼レフ、「アサヒペンタックス」を世に送り込みました。
「一眼レフ」「クイックリターンミラー機構」「ペンタプリズム」という3つを搭載したカメラは、アサヒペンタックスが世界初となっており、一般的に浸透した一眼レフは全てこのアサヒペンタックスの仕組みが基礎となっています。
この功績はデカいなんて次元じゃあない。
現在はリコー傘下に
世界初の一眼レフを開発した後にも、世界初のAF搭載一眼レフを開発したり、世界初の絞り優先オートを開発したりと、ペンタックスは一眼レフの開拓者のような立ち位置にいました。
しかし先陣を切って製品を出すせいか、実用性が洗練されていないカメラが多く、新しいカメラを発売してもあまり売上に結び付かず。
結果的に2004年にはメガネの事業をセイコーに移管し、扱う製品は「カメラ」「カメラ用レンズ」「双眼鏡」の3つに。
この後もペンタックスは2006年にHOYA株式会社に買収。更に株式会社リコーにHOYAのカメラ事業を買収され、現在はリコーイメージングの下でペンタックスは生きています。
リコーもカメラの歴史のあるメーカーで、精機光学研究所(現キヤノン)の創立の1年後である1934年にカメラを販売しています。
プリント事業拡大のためにスタートしたリコーのカメラですが、カメラのデジタル化に伴って次第に縮小しています。
現在のリコーの主なカメラは高級コンパクトである「GR」と、360度カメラの「THETA」、タフネスモデルの「WG」の3種となっています。
オリンパス
オリンパスの前身である株式会社高千穂製作所の創業は1919年。顕微鏡の国産化を目指して創立されました。
創立から約半年後の1920年に念願の国産顕微鏡「旭号」が完成。
そして顕微鏡のレンズ技術を応用して1934年から写真用レンズの制作に着手します。
カールツァイスと同じ流れやね
最初のレンズが完成したのは2年後の1936年で、オリンパスでお馴染みのズイコー(瑞光:めでたい光)が名づけられました。
取り付けられたカメラは他社からの供給品でしたがカメラの名前は「オリンパスI型」。
1938年には全て自社開発のカメラである「セミオリンパスII型」が登場しており、カメラブランドオリンパスが産声を上げます。
オリンパスはギリシャ神話のオリュンポス山から来ており、「高千穂の峰に神々が存在する」という日本神話とギリシャ神話の神々の山であるオリュンポス山を結びつけています。
正式にはカメラ事業から撤退している
一般的にはオリンパスはカメラのメーカーのイメージがあるかもしれません。
しかしオリンパスの売上の比率を見ると8割以上が医療機器です。世界トップの医療機器メーカーの一つであり、世界初の胃カメラを作ったメーカーでもあります。
そしてオリンパスのカメラ事業は赤字であったため、2021年にOMデジタルソリューションズ株式会社にカメラ(映像)事業を譲渡。オリンパスのブランド名はOMデジタルソリューションズが最初に発売したOM-1が最後となりました。
現在のオリンパス株式会社は医療機器に集中しています。
富士フイルム
戦前から存在したフィルムですが、当時はアメリカのコダックが独占状態で、ここに「日本産フィルムを」と立ち上がったのが大日本セルロイド株式会社(現ダイセル)でした。
フィルムの開発に目途が立った大日本セルロイドは、1934年にフィルム事業を分離し、ここから富士写真フイルムとして写真フィルム、印画紙、乾板の製造をスタートします。
フィルムの販売を伸ばすために、1948年からカメラやレンズの製造もしており、1963年には大ヒットを起こした「写ルンです」を世に送り出します。
順調にフィルムの販売は伸び、2000年頃には富士フイルムはコダックに次ぐ2番目のフィルムメーカーになっていました。
しかし、やはりデジタルへの移り変わりにより、全てのフィルムメーカーは大ダメージを受け、トップメーカーであったコダックは倒産。一方で富士フイルムはダメージを受けつつも生き残ります。
富士フイルムが生き残った理由の一つに、富士フイルムは「時代の流れを読む力があった」と言われています。
富士フイルムはフィルムを作っていた当初から、医療用のX線フィルムや、フィルムの技術を応用した化学分野にも手を伸ばしていました。
そしてフィルムの衰退を察知した時から、フィルム事業以外に注力し、来たるフィルム衰退の準備を着々と整えていたのでした。
時代の流れに敏感な富士フイルムは、1988年には世界初のメモリーカード搭載のデジタルカメラ「FUJIX DS-1P」。
2010年には世界初の像面位相差AFを「FinePix F300EXR」「FinePix Z800EXR」に搭載しており、新機能の搭載にも積極的です。
ソニー
終戦後の1946年。20人の小さな工場からスタートした東京通信工業がソニーの前身です。戦後という苦しい状況から炊飯器や電気座布団の製造をしており、大ヒットした製品は国内初のテープレコーダーです。
続いて世界初のポケットサイズのトランジスタラジオを開発。この時、世界をターゲットにするには東京通信工業では伝わりにくい事から、1957年に現在の「SONY」に社名を変更しました。
今でこそテレビ、オーディオ、カメラのメーカーといったイメージがありますが、創立の初期から機械の内部であるトランジスタやダイオードを作るパーツメーカーでもあり、サプライチェーンの多くを自社で行なっているメーカーです。
そんなソニーがカメラ事業をスタートしたのは1981年でデジタルカメラからの参入でした。
最初のカメラは「マビカ試作機」で、民間向けではなくオリンピックで使う報道向け。
民間向けに登場したのは1988年の「MVC-C1(マビカ1号)」でした。
様々な改善がされていく中で、2003年にはソニーとしてお馴染みのデジカメ、サイバーショットが誕生します。
コニカミノルタから一眼レフ事業を譲渡
2006年にコニカミノルタのカメラ事業撤退に伴って、一眼レフの技術を譲り受け、ソニーの一眼レフがスタートします。
2010年にはソニー初のミラーレス一眼「NEX-5」。また、同年に一眼レフとミラーレス一眼の中間に当たる、トランスルーセントミラーを搭載した「α55」も登場しました。
2013年には世界初のフルサイズミラーレス一眼であり、ミラーレス一眼のイメージを大きく変えた「α7」が登場します。
α7が出てからのソニーの快進撃は凄かった。
パナソニック
パナソニックは元々、松下電器のブランド名でした。松下電器を創設したのは、ご存じ「経営の神」と呼ばれる松下幸之助です。
パナソニックというブランド名も、パナソニックとナショナルが統合している事を知っている人も多いと思います。
元々、ナショナルは国内向けの白物家電(冷蔵庫・洗濯機等)、パナソニックは国内向けの黒物家電(テレビ・オーディオ等)、国外向けには主にパナソニックのブランドで販売していました。
ちなみにソニーは黒物家電のメーカーやね。
2008年に世界をターゲットにするため、ブランドをパナソニックに統一し、社名も松下電器産業からパナソニック株式会社となりました。
パナソニックのカメラ参入はパナソニックに統一される以前の1990年代の後半で、紹介するメーカーの中では最も遅いスタートでした。
また、最初は様々な支部でカメラを開発しており、特徴もマーケティングもバラバラで売上げは芳しくなかったです。
そこでカメラブランドLUMIXを2001年に立ち上げ、パナソニックのカメラは新たなスタートを切ります。
初期段階にして血迷いすぎやろ…
ライカと共にスタートしたLUMIXブランド
パナソニックにはビデオカメラのノウハウや、CD再生の光ピックアップの技術は持っており、当時からレンズの技術はありました。
「自分たちに足りないもの」と考えた先が、カメラのネームバリューでした。
そこで、カメラメーカーとして不動のポジションに立つライカに声を掛け、協業が成立。
LUMIXにはライカの厳しい基準をクリアしたレンズが搭載されています。
オリンパスとMFT規格を作る
LUMIXブランドが発足してから直ぐの2004年にオリンパスから声がかかり、フォーサーズシステム(一眼レフ)の「LUMIX L1」が2005年に登場。
このLUMIX L1を改善する際に、レフレックスミラーを取り除く案が挙がり、この案を元にオリンパスと共同でマイクロフォーサーズ(MFT)規格が2008年に誕生しました。
最初のMFTのカメラはパナソニックの「LUMIX G1」。世界初のミラーレス一眼でもあります。
カメラのルーツは性能に関わる?
何となく並びで気づいた人もいるかもしれませんが、今回紹介した順番は、カメラに密接に関わってきたメーカーを順番に紹介しました。
- カメラメーカー
- キヤノン
- レンズメーカー
- ニコン
- ペンタックス
- オリンパス
- フィルムメーカー
- 富士フイルム
- 家電メーカー
- ソニー
- パナソニック
ここからは僕の雑感です。
レンズメーカーには不利な時代かも
レンズメーカーからスタートした企業では、トップはもちろんニコンです。
しかしニコン以外はあまり芳しくなく、ペンタックスはミラーレス一眼には本腰を入れずメインは未だに一眼レフ。オリンパスは一眼カメラから撤退している現状があります。
イメージセンサーを自社で作っていない事が多く、絵作りの面で出遅れている部分があるのだと思います。
フィルムメーカーだという事を強みに
デジタルの移り変わりによって存在しなくなったフィルム。
フィルムメーカーであった富士フイルムもレンズメーカーと同様にダメージを受けるのかと思えば、こちらは好調の模様。
フィルムメーカーとして培ってきた、フィルムの描写をカメラに取り込んだフィルムシミュレーションは富士フイルムの大きな魅力となっています。
フィルムシミュレーションは良い話しか聞かんよね。
動画の技術をカメラに流用
ソニーとパナソニックに共通して言える事は、ビデオ(動画)のノウハウがある事。
デジタルカメラというのは、ビデオカメラに近い部分があり、AF機能や手ブレ補正はビデオカメラの得意分野でもあります。ビデオカメラを得意としてきた両メーカーは、これまで培ってきた動画の技術をカメラに応用してカメラを発展させています。
ただ、やはり写真経験の浅さは否めず、性能を求めてソニーに来たものの、写真らしい仕上がりを求めてキヤノンやニコンに移行(戻る)する人も見かけます。
ソニーとパナソニックを比較した場合、パナソニックがライカと手を組んでいるように、ソニーはカールツァイスと協力関係にあります。
しかしツァイスブランドのレンズはソニーからはコンデジと一部のスマートフォン、ミラーレス一眼においては初期に数本出ただけで、本腰のレンズにGマスターブランドが登場しています。
更にカメラの技術においては、時代の流れもありますが、譲り受けたコニカミノルタの一眼レフ(Aマウント)は6年という早さで手放しています。
国産初のカメラブランド、コニカの血統も入っているのに…
パナソニックはオリンパスに誘われて一眼レフに参入しましたが、出した一眼レフカメラは数機種のみで、ソニーより短い一眼レフの制作期間でした。
しかしその後、オリンパスと共同でMFT規格を作っており、互いの仲は良さそうです。
やはりパナソニックの方が他社との連携が上手く、商売上手感はあります。
松下幸之助の魂は健在という事。
キヤノンがトップを走るのも納得
カメラのメーカーは世界を見ても日本企業が大半を占めています。
そんな国内のカメラ産業ですが、創立当初から現在までカメラを作っているメーカーはキヤノンだけです。
よく「キヤノンとニコンはどう違うの?」という疑問を投げかけられますが、「レンズだけでなく”カメラ”を見てきた」という答えが、現在のキヤノンの立ち位置のポイントなのではないでしょうか。
ちなみに僕はソニーユーザーだけど、ニコンの描写が好きよ。