カメラの歴史を動かしたカメラはどのように誕生したのか

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  1. 光の発見と屈折による光学
  2. 光を感光剤に反応させる化学
  3. 絞りや巻取りによる機械工学
  4. プログラム制御による電子工学

カメラの歴史を遡ると、上記のような様々な技術が重なり合うことで完成しました。

現在はデジタルカメラが主流であることから、感光剤やフィルムによる化学分野とは縁が切れたとも言えますが、新機能を搭載したカメラや、新しいレンズが出ている事を見れば分かるように、カメラもレンズもまだまだ発展途上です。

この記事では、カメラがどのように完成し、どのように発展し、どのように今の形になったのか。

その歴史を紐解いていきたいと思います。

目次

紀元前 ピンホールから像が投影される

ピンホール(針ほど小さな穴)から漏れた光が壁に像として投影される事は、紀元前から世界中で認知されていました。

このピンホールがカメラの原点です。

この像を写す不思議なピンホールは当時、天文学や光学の研究対象でした。

ピンホールカメラ(ピンホールレンズ)は自作も可能です。

11世紀 カメラ・オブスキュラの完成

元々は偶然発見されたピンホールによる投影ですが、次第に人の手でピンホールを作って投影するようになり、11世紀頃には装置の詳しい記録が残されています。

そしてピンホールによる像を意図的に作り出す装置をカメラ・オブスキュラ(日本語で暗い部屋)と呼びます。

カメラ・オブスキュラは、光学の研究から観光用望遠鏡のような娯楽まで、様々な形で使用されていました。

ちなみに日本で作られた最初のカメラの名前はは手提暗箱(手に提げる暗い箱)です。

15世紀 カメラ・オブスキュラが絵画の下描きに使用される

15世紀にポルタというイタリアの物理学者が「カメラ・オブスキュラは絵を描く時の下書きにも使えるぞ!」と自書で紹介した事から、画家が絵画の道具として使用します。

カメラという名称もこのカメラ・オブスキュラが語源となっています。

もうこの時点でカメラと言えばカメラ。

16世紀 カメラ・オブスキュラにレンズが搭載される

カメラ・オブスキュラを使う画家を悩ませた弱点はピンホールという光量の小ささでした。

そこに、16世紀にイタリアのカルダーノという医師が、ピンホールにレンズを当てると、像が明るく鮮明に写る事を発見し、レンズを搭載した改良型のカメラ・オブスキュラが誕生します。

16世紀のイタリアは、ガラス工芸やレンズ産業が盛んな時代でした。

大まかなボディとレンズはこの時点でできていたという事か。

1827年 感光剤によって写真の撮影に成功

画家がカメラ・オブスキュラを下書きとして使用する一方で、科学者や発明家の多くはカメラ・オブスキュラの像を定着できないかと考えていました。

これに成功したのが1827年。フランスの発明家であるニエプスがアスファルトに光を当て、世界初の写真の撮影に成功します。

しかし世界初の写真は露光時間が8時間以上を要したと言われており、ここから様々な感光材料が研究されていきます。

1861年 レフレックスミラーの搭載

感光剤が登場してからの撮影方法は、カメラ・オブスキュラによって写された像をスクリーンで確認し、確認が終わったら感光材料とスクリーンを交換して感光していました。

この作業を軽減した仕組みがレフレックスミラーで、1861年にトーマス・サットンがカメラ・オブスキュラの光路上に可動式のミラーを設置し、撮影ギリギリまでミラーで確認、撮影時にミラーを動作して感光剤に光を当てる仕組みを取り入れました。

1890年頃 シャッターが必要不可欠に

世界初の撮影に成功してから約60年。感光剤の発展によって、8時間以上の露光時間がかかっていた撮影は数秒で終わるようになってきました。

ここで必要になった仕組みが露光が終わると幕を自動で素早く閉じるシャッターで、1890年頃にはカメラに標準装備されるようになりました。

1925年 35mmフィルムにより小型化

カメラ・オブスキュラは改良によって初期より小さくなりましたが、形は当時と同じ形状で、携帯しやすいサイズではありませんでした。

そこでライカのエンジニアであり、身体が弱かったバルナックは、小さなフィルムに撮って引き伸ばしてプリントする事が前程の小型で軽量なカメラを作る事を考えました。

着眼したフィルムが映画用の35mmフィルムで、開発の末に1925年に世界初の35mm一眼ライカIを世に送り出します。

ライカIは本体が高価であったため、35mmフィルムの伸びもイマイチでしたが、他社の参入によって安価なカメラも登場し、1960年頃には市場を支配するほどに成長します。

「カメラは大きく重い」という概念はここで覆されました。

35mm判はライカが提唱したので、ライカ判と呼ぶ事もあります。

国産ライカを目指してキヤノンが立ち上がったのもこの頃

1957年 一眼レフの完成

この頃のカメラは腰の位置にカメラを構え、上からファインダーを覗き込むウェストレベルファインダーと呼ばれる撮影スタイルで、以下の弱点がありました。

  • レフレックスミラーを手動で操作する必要がある
  • レフレックスミラーの像が左右逆像
  • レフレックスミラーを上から覗き込むため、縦位置での撮影が困難

この弱点を克服したカメラがハンガリーのカメラメーカーから1947年に登場したデュフレックスです。

デュフレックスには露光が終わると自動でレフレックスミラーが戻るクイックリターンミラーと、正面正像のポロミラー方式のアイレベルファインダーが搭載されていました。

画期的なシステムであったものの、当時の冷戦の影響で大きなヒットには至らず、日本では1970年まで存在すら知られませんでした。

ペンタプリズムではなく、鏡を使って正面正像にしていました。

ペンタプリズムが搭載されたのは、東ドイツのツァイス・イコンのコンタックスSが最初ですが、こちらはクイックリターンミラーが非搭載でした。

  • レフレックスミラー
  • クイックリターンミラー
  • ペンタプリズム(アイレベルファインダー)

上記の3つを最初に搭載した初のカメラが、朝日光学工業(現リコーイメージング)から1957年に登場したアサヒペンタックス。

このアサヒペンタックスの登場から、世界中の一眼レフは上記の3つの搭載が当たり前になっていきます。

いわゆる一眼レフはここで生まれた。

カメラは自動制御の時代へ

これまでのカメラは感光剤や、機械的な仕組みなど、化学と工学の発展によって支えられてきました。

続いてカメラには電池が搭載され、ダイヤルや巻き上げレバーによって動作していたカメラは、次第に電気(電池)で動く機械となっていきます

ここに新たに、電気を使用してカメラを制御する自動化の時代が訪れます。

1960年 自動露出(AE)の誕生

基本的な自動露出は、シャッタースピード優先、絞り優先、プログラムの3つですが、この中で一番最初に搭載されたのはシャッタースピード優先オートでした。

先に完成した経緯として、シャッタースピードを露出に応じて変更する仕組みが難しく、絞り優先オートよりシャッタースピード優先オートが先に完成した形です。

当時は自動で動くレンズの絞りを、目の虹彩に見立て、AE(Automatic Exposure)ではなく、EE(Electric Eye:電気の目)と呼んでいました。

また自動露出によって測光ボタンが必要になり、これによってシャッターに半押し機能のある二段ボタンが採用されました。

この頃の一眼レフのレンズマウントはスクリューマウントが一般的でしたが、自動露出によってレンズ(絞り)をボディからコントロールする必要があるため、各社が新しいマウントの開発に着手し、カメラを選ぶとマウントも決まる構図が出来上がってきます。

1977年 自動焦点(AF)の誕生

続いて搭載された自動機能がAF(Autofocus)です。

カメラの新機能として、新機能は上位モデルに搭載された後、下位モデルに搭載されるのが基本です。

各社が上位モデルに搭載しようと試行錯誤していたところ、コニカが入門モデルであるKonica C35 AFに搭載したところからスタートします。

現在は像面位相差AFとコントラストAFを合わせたハイブリッドAFが主流ですが、ここに辿り着くまでに様々な方式が試行錯誤されてきました。

1975年 世界初のデジタルカメラが発明される

世界初のデジタルカメラを作ったのは、フィルムメーカー イーストマン・コダックに在籍していたスティーブン・サッソンです。

この時に開発されたデジタルカメラは、CCDで受け取った情報をカセットテープに保存するシステムでした。

本来なら新しいカメラの登場に一喜一憂するところです。

しかしデジタルカメラの登場と発展は、フィルムメーカー世界一であるコダックにとっては死を意味します。

そんな状況であったため、当初のコダックはデジタルカメラの開発には消極的でした

コダックの末路はこちらにて。

1981年 ビデオカメラの応用としてデジタルカメラは登場した

世に出た最初のデジタルカメラは1981年にソニーが開発しました。

当時のソニーはカメラよりビデオカメラの制作に長けており、この技術の応用として、“静止した映像”を意味するスチルビデオと呼ばれるマビカを開発します。

しかしマビカはアナログ信号で保存していた事から、正確にはカテゴリーとしてはデジタルカメラに分類されず、電子スチルビデオカメラというカテゴリーに属しています。

最新鋭の技術を搭載したマビカは非常に高価であったため、初期モデルは民間向けではなく、報道向けに販売されました。

デジタルカメラより先にビデオカメラが存在していたとはな。

1995年 デジタルカメラの完成

マビカ登場後、コダックもデジカメの開発に腰を入れ始め、他のカメラメーカーもデジタルカメラを民間市場へ投入してきます。

発展途上にあるデジタルカメラでしたが、ここに一つの完成を見せたカメラが1995年にカシオ計算機から登場したQVー10です。

  • 背面液晶
    • ライブビューモニター
    • 撮った画像をその場で確認
  • カメラからPCに直接画像を転送

QV-10以降のデジタルカメラは上記の搭載が当たり前になっていき、デジタル一眼レフにも搭載されていきます。

カメラとは無縁だったカシオがカメラを制作した事が話題になり、多くの家電メーカーがカメラ産業に参加しました。

2008年 世界初のミラーレス一眼はミラーレス一眼ではなかった

デジタル一眼レフに勢いが出てきた2000年頃。オリンパス(現・OMデジタルソリューションズ)とコダックは一眼レフカメラの共通規格であるフォーサーズシステムを提唱します。

このフォーサーズシステムに参入したメーカーがパナソニックです。

そしてフォーサーズシステムのカメラを作ったパナソニックから「ミラーを無くせば、フランジバックが短くできるので、より小型のカメラができるのではないか?」という話が挙がり、マイクロフォーサーズシステムが誕生します。

マイクロフォーサーズ初のカメラは2008年に登場したパナソニックのLUMIX DMC-G1です。

事実上、このLUMIX DMC-G1が世界初のミラーレス一眼となるのですが、当時はミラー”レス”というワードにネガティブなイメージが付く事が懸念されたため、デジタル一眼(”レフ”と書かない)という名称で登場したのでした。

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