ミノルタα7000の革新とハネウェル特許訴訟:巨額賠償の背景と業界への影響

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Konica C35 AF(ジャスピンコニカ)でオートフォーカスの時代の幕が開けました。ジャスピンコニカはレンズ一体型のカメラで、カメラ初心者から絶大な指示を受けましたが、愛好家からはレンズ交換式カメラへのオートフォーカス実装化が多く望まれました。

レンズ交換式カメラでのオートフォーカスの課題は、ボディとレンズの情報連携などに課題があり、各社が試行錯誤を繰り返していましたが、実用的なカメラは登場していませんでした。

1985年、ミノルタは「α7000」を発売しました。このカメラは、世界初となる位相差オートフォーカスを搭載した一眼レフカメラとして、写真業界に革命を起こしました。これまでの一眼レフカメラのオートフォーカスは、ピントの検出方法に課題があり、各社で試行錯誤が繰り返されていました。しかし、α7000の登場によってピントの調整が手軽になり、カメラ市場に新しいトレンドを生み出したのです。

α7000に搭載されたオートフォーカス技術は、以下の点で当時の他のカメラを圧倒していました。

  • 高速かつ正確なピント合わせ: ボディ内にモーターを組み込み、スピーディーで滑らかなオートフォーカスを実現。
  • 広範囲でのピント追従: 被写体がフレーム内で動いても、精確に追従する性能を持つ。
  • ユーザーフレンドリーな操作性: 初心者でも簡単に使える設計で、多くのユーザーに歓迎されました。

位相差検出オートフォーカスはセンサーを用いて光のズレを検出し、ピント位置を素早く算出する方式で、後の一眼レフカメラにも広く採用されました。

しかし、革命児であるα7000と、α7000を生み出したミノルタには思いもよらぬ出来事が待っていたのでした

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ミノルタ vs ハネウェル特許訴訟の真相

α7000が誕生する前に、ミノルタはハネウェルと技術開示契約を結び、オートフォーカス技術の導入を進めていました。しかし、ハネウェルの提供する技術が期待した性能に達していなかったため、ミノルタは独自の技術開発を進め、1985年にα7000を発売しました

しかし、この成功の裏でミノルタは意図せず特許訴訟の渦中に巻き込まれることになりました。アメリカの技術企業ハネウェルが、ミノルタが自社のオートフォーカス関連特許の複数を侵害していると主張したのです。

オートフォーカス技術の争点となるストファー特許とは?

ハネウェルは1970年代からオートフォーカス技術の研究開発を行い、多くの特許を保有していました。その中で大きく取り上げられた特許がストファー特許です。ストファー特許は、焦点検出のための位相差検出技術に関するもので、ピントの合焦を確認する基本的な仕組みでした。ストファー特許はアメリカでは登録されていましたが、日本の特許庁は新規性に欠けるとして、この特許の承認を拒否しました

ストファー特許の位相差検出はピントの合焦と非合焦を判断するもので、”どれくらい外れているか”を測定する機能はありません。これに対し、ミノルタの技術はどれだけ動けばピントが合焦するか測定する機構を備えていましたが、ピントの検出方法そのものは位相差によるものでした。

α7000が日本国内で販売する事に関しては特許上の問題はありませんでしたが、ストファー特許が登録されているアメリカ市場でα7000が販売されたことが、この訴訟の引き金となりました

ミノルタ側の法的な準備不足と対応の遅れ

ハネウェルは訴えを起こす前から、ミノルタに特許の侵害を警告していました。しかしミノルタは自社の技術とストファー特許は異なる技術だと判断し、特許侵害のリスクを十分に検証しないまま開発を続けました。これに業を煮やしたハネウェルは、ミノルタを訴訟したのでした。

裁判がアメリカで行われたことと、ミノルタ自身に裁判のノウハウが少なかったことで二重の重荷を背負う事になりました。

ハネウェルはアメリカの企業であり、現地の法制度や特許訴訟の手続きに精通していました。一方で、ミノルタはアメリカの訴訟制度に対する理解が不十分で、適切な法務チームの編成や戦略策定が遅れました。特に、証拠の提出や弁護活動において積極的な対抗策を取ることができず、裁判の主導権を握られることになりました。

また、ミノルタ側の訴訟経験の無さも敗訴の大きな要因となりました。提訴を受けた時点で、迅速な証拠収集や特許侵害を回避するための戦略が必要でしたが、それらの対応が後手に回りました。

裁判ではミノルタはストファー特許と自社の技術の違いを必死で説明しましたが、裁判の流れを変えることはできませんでした。そして1991年、裁判所はハネウェルの主張を認め、ミノルタに対して、当時のカメラ業界の特許訴訟において非常に高額な約1億2700万ドル(当時165億円)の賠償金支払いを命じました

ハネウェル特許訴訟がカメラ業界に与えた影響

この訴訟は単なる一企業の敗訴にとどまらず、ハネウェルはミノルタを真似て位相差オートフォーカスを搭載した様々なメーカーに同様の請求を行いました

ミノルタの裁判を見ていたカメラメーカーはもはや戦う気力も残っていなかったそうです。ハネウェルはキヤノンやニコン、リコー、オリンパスなど、様々なメーカーを訴え、合計400億円以上を受け取ったとされています。訴訟を回避するため、一部のメーカーはハネウェルとクロスライセンス契約を結びました。また、中にはハネウェル側の特許侵害を指摘し、訴訟を免れたメーカーもありました。

訴訟を機に、各社は特許回避のために独自技術の開発を進めるようになり、キヤノンのUSM(超音波モーター)や、ニコンのマルチCAMオートフォーカスモジュールなど、オートフォーカスの開発は多方向に発展していきました。

ミノルタの衰退と技術の継承

特許訴訟による経済的ダメージは大きく、ミノルタはその後も経営改善を図るものの、業界競争の激化により2003年にコニカとの合併を決断し、コニカミノルタが誕生しました。2003年はカメラ市場がデジタルに本格的に移行していた時期で、αシリーズの一部にはソニー製のイメージセンサーを搭載しました。

しかし、競争環境は厳しさを増し、2006年にコニカミノルタはカメラ事業からの撤退を発表。長年にわたって培われたカメラ技術はイメージセンサーを提供していたソニーへ譲渡され、ソニーのαシリーズとなった現在も、ミノルタの技術は継承され続けています。

あなたが今、手にしているカメラにも、たくさんの人たちが試行錯誤を重ね、技術革新を積み重ねてきた結晶です。ぜひ、その歴史に思いを馳せながらシャッターを切ってみてください。

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