写真で全ての事は伝わるか?写真における文字の必要性。

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先日、近所の動物園で「子供とミラーレス一眼で動物を撮ろう」といったイベントがありました。

えぇ。もちろん参加です。

子供と写真を楽しみたかった事もありますが、何より貸し出しのカメラがニコンだったので。

僕はソニーとOMシステムユーザーなのですが、ニコンの絵作りがとても好きなのです。

まぁこんな話はどうでも良い。

今回参加したイベントには講師として動物写真家の内山先生がいらっしゃいました。

動物の写真を撮る本番の前に、先生の自己紹介があり、その中で自分の作例作品を見せてくれました。

しかし写真を見ただけの僕の中の感想は「よく見る動物写真」で正直何が凄いのかわかりませんでした。

目次

あなたは絵画の見方が分かる?

写真の原点はピンホールで、ピンホールを通った光が壁に写る事から、画家が下描きとして使用した事が写真のスタートです。

写真は絵画と関係があることは否定できません。

そんな絵画ですが、あなたは絵画の見方を知っていますか?

僕は知りません。

どこかで「日本は美術の授業はあるけど、描いたり作ったりするばかりで、作品の見方を教わらない」という事を聞いた事があります。

これは真実でしょう。

だって僕は絵画の見方を知りませんから。

誰だよ「聞いてないだけ」って言ったの。ちゃんと授業は受けてたぞ。

正しい絵画の見方を知らない僕ですが、僕は美術館でもそれなりに楽しむ事ができます。

楽しむためのポイントは作品のタイトルと解説を見る事。

タイトルを見ればある程度の状況が分かり、解説を読めば作品が何を伝えたいのかが分かります。

ただ絵画を見るだけではなく、作品を見て理解する事こそが美術の楽しみ方だと僕は思っています。

技術的な事はサッパリわからん!

写真も楽しみ方は絵画と同じ

写真も絵画と同様に、ただ見るだけでなく、写真を理解する事によって作品をより楽しむ事ができます

参加したイベントでは、先生が自身の撮った写真の解説をしてくれました。

  • ライオンは母親が子育てをするのが基本で、父親と子供が戯れているこの写真は珍しい
  • サイの親子を撮った翌日にサイの母親が密猟者に殺された
  • 「撮れた!」と思ったら、カメラにフィルムが入っていなくて、同行した奥さんにこっぴどく怒られた

動物写真の分からない僕にも、先生の解説が入ると、動物写真の意味や意義、先生が写真を楽しく撮っている事や、写真よりも動物の事が圧倒的に好きだという事が伝わってきました。

写真の良さを一番伝えられるのは撮影した人の声。声が無理だから文字に残す。

テキストが加わると写真がより鮮明になる

今度は僕が撮った写真を例にしてみましょう。

今回のイベントで撮ったお気に入りのヤギの写真です。この写真にテキストを加えてみます。

ヤギと対峙している写真に見えますが、実は振り向く一瞬を連写で捉えただけ。
ヤギの白さを表現するために、ヤギに太陽光が当たり、背景は建物の影でブラックアウトする場所選び、露出もアンダーに大きく補正しています。

他にも僕が最近撮った夕日の写真にテキストを載せると、こんな感じです。

大量の忘れ物をして散々なキャンプだったが、この夕日を見せられると「今日この日にキャンプに来て良かった」と言わざるを得ない。

技術的な事でも精神的な事でも、ただ写真を見るよりも、僕が撮影した時の気持ちが伝わるのでは無いでしょうか?

写真とテキストは親戚のようなもの

絵画から派生したと言える写真ですが、絵画は何から来ているのかというと、紀元前の壁画にあります。

この壁画は絵画の他に記号に派生し、記号から楔形文字やヒエログリフへ更に派生、そして世界各地のアルファベットやアラビア文字、漢字へと発展していきます。

つまり、写真と文字は親戚のような関係にあり、双方ともに記録し、伝えるという役割を担っています。

気持ちの入った写真は簡単に言語化ができる

デジタルカメラが当たり前になった現在ですが、フィルム時代はフィルムを購入するコストがかかるため、一枚一枚が貴重で「一枚入魂」のような言葉もありました。

必然的に写真に残すのは思い出や記念など、特別な出来事やイベントがメインでした。

デジタルになり便利なった反面、フィルムの当時に比べると、一枚の価値や重みは間違いなく軽くなっています

  • 連写の中から1枚を選定する
  • 少しピントがズレたので、次の1枚を撮る
  • オシャレだからとりあえず撮ってみる

デジタルカメラになり、手軽にシャッターが押せるようになった一方で、大して思い入れの無い写真や、不採用の写真など山ほどあります。

思い出を残す事が多かったフィルムカメラは簡単に言語化が可能ですが、気軽に撮れるデジタルカメラは言語化が難しい。

俺も息を吸うようにシャッターを押すしな。呼吸に感想も何もない。

過剰な編集の抑制にも繋がる

気持ちの入っていない写真にはテキストが書けません。

これは編集においても同様です。

過剰な編集をして、無理矢理採用カットにした写真は言語化をすると下記のようになってしまいます。

  • 思ったより綺麗な風景ではなかったので、彩度を上げています
  • 天気が悪かったので、空を置き換えました
  • モデルの肌が汚かったので、編集で綺麗にしました

被写体に対してリスペクトの無い写真に生成できるテキストなどこの程度です。

勘違いしてほしくないのですが、過剰な編集が悪いわけではありません。

多くの人がフィクションで感動するように、加工された写真や、架空の話でも人は感動します

ただし、そこには「この写真はフィクションです」というテキストが必要だと僕は思います。

写真はテキストが加わる事で真価を発揮する

カメラは目の前の情報を記録する道具ですが、記録できるのはあくまで光だけで情報の全てを記録できるわけではありません。

  • 撮影日時
  • 撮影場所
  • 何故写真に納めたのか

このような情報は写真には記録できないのです。

「Exifがあるだろ!」とかいう屁理屈はやめてくれ。

作品展をするなら「何故シャッターを押したのか」「色、形、明暗」のどこを見てほしいのかを伝えなければ、観覧者は「写真を見ただけ」で終わってしまいます

解説が書かれていた方が滞在時間も増えるので、作品展としての結果も良くなります。

上手い人はタイトルで見て欲しいポイントを伝える事もあります。

友達や家族との写真でも同じです。簡単な一言でも良いので、文字に残してみましょう。

赤ちゃんが初めての立っちに成功。大喜びの私に対して、当の本人は無表情。

おばあちゃんと撮った最後の家族写真

簡単な一文だけでも写真の価値は大きく増すはずです。

人の記憶は必ず薄れるからな。

1枚の写真に1編の詩。写真家であり、詩人でもある米美知子の作品集。

読み物としても面白い必読のカメラ教本。

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