写真を撮りたかったはずなのに、 気づけばカメラのことばかり考えている。
スペック、レビュー、作例、最新機種。 情報を集めるほど、なぜかシャッターは遠のいていく。
別に、それが悪いわけではありません。 カメラが好きになるのは、とても自然なことです。
ただ、ふと立ち止まったときに、 「写真が撮りたかったはずの自分」は、どこに行ったんだろう? と感じる瞬間がある。
このページでは、 「カメラが好きな人」と「写真を楽しんでいる人」の違いを整理しながら、 写真との向き合い方を、少しだけ言葉にしてみます。
なぜ、カメラのことばかり考えてしまうのか
写真を始めると、多くの人が一度は“カメラ中心”になります。
それは意識が高いからでも、流されやすいからでもありません。 理由はとてもシンプルです。
カメラの世界には、分かりやすい正解があるからです。
- 性能は数値で比較できる
- 比較記事やランキングが揃っている
- レビューを見れば優劣がはっきりする
お金を出して良い機材を買えば相応のリターンが返ってくるので、結果として「進んでいる手応え」も得やすいのです。
カメラは数字や比較を楽しめる人の方が、長く残りやすいのかもしれません。

一方で、写真には正解がありません。
- 上手/下手の基準が曖昧
- 評価は人によって変わる
- 何を撮りたいのかよく分からない
何を基準に続ければいいのか分からず、 今の自分が前に進んでいるのかも判断しづらい。
正解がないものに向き合うより、 正解が用意されているものを考えるほうが、ずっと楽です。
だから気づけば、 写真ではなく、カメラの話ばかりを追いかけてしまう。
だから多くの人が、「写真」そのものではなく、 分かりやすい指標を持つ「カメラ」に思考を寄せていきます。
だから気づけば、 写真ではなく、カメラの話ばかりを追いかけてしまう。
ごく自然な流れだと思います。
俺数字でしか物事を見れないないなんて、なんだか嫌な時代やねぇ…
カメラ好き=機材が主役
あくまで僕の主観ですが、 「カメラ好き」と聞いてまず思い浮かぶのは、機材への強い関心です。
- 新しいカメラが出れば性能表を細かくチェックする
- イメージセンサーの画素数、ダイナミックレンジを語る
- 素人には分からないレベルの差を引き合いに出して盛り上がる
こうした行為自体を否定するつもりはありません。 好きなものを深掘りするのは、立派な趣味の形です。
ただ、関心の中心は写真そのものではなく、機材にあります。
俺比較サイトを作ってる管理人さんゴメン!ちょっと下に見てる!ときどき助かる時もあるから、これからも比較リストの作成よろしく!
機材が主役になりやすい時代
近年のカメラ系情報発信、とくに動画メディアでは、写真よりも機材の話題が前に出やすい傾向があります。
これは発信者の姿勢の問題というより、機材のほうが数値や機能で説明しやすく、視聴者も短時間で「良し悪し」を判断できるためです。
正解がなく抽象的になりがちな写真の話より、機材のほうが語られやすい。その結果、自然と機材が主役になる環境が生まれています。

機材を優先すると写真が後回しになる
カメラのことを考え始めると、 撮る前に検討しなければならないことが、一気に増えていきます。
- もっと条件が整ってから
- もう少し知識を身につけてから
- 今は準備段階だから
どれも、もっともらしく聞こえますし、 自分を納得させる理由としては十分です。
問題は、それらがすべて 「撮らないこと」の言い訳として機能してしまう点にあります。
結果として起きるのは、とてもシンプルです。
撮ること自体が後回しになり、 気づけばカメラに触れる時間よりも、 調べる時間、考える時間のほうが長くなっていく。
写真を嫌いになったわけでも、 情熱が冷めたわけでもありません。
むしろその逆で、 「ちゃんとやりたい」「失敗したくない」という気持ちが強いからこそ、 準備に時間をかけすぎてしまいます。
俺失敗したら駄目な理由って何?失敗から機材を検討するのが筋ってもんじゃないの?

ある程度機材がそろえば写真は楽しめる

誤解してほしくないのですが、僕はカメラ選びそのものを否定したいわけではありません。
カメラを選ぶ時間も、調べる時間も、それ自体が楽しいという気持ちはよく分かります。
実際、何も分からないまま選ぶより、最低限の知識があったほうが、無駄な失敗を減らせることも事実です。
ただし、大事なのはどこまでをカメラ選びに委ねるかです。
- 何を撮りたいのか
- どんな時間を写真に使いたいのか
この軸が定まらないまま、機材の性能や比較だけを積み上げていくと、写真はだんだん息苦しいものになっていきます。
写真を撮るために、確かに機材は重要です。 ただし、それはある程度そろえば十分だと考えています。
- 普通に撮れるカメラ
- 被写体に合ったレンズ
- 最低限のアクセサリー
カメラ選びは、写真を始めるための入口であって、目的地ではありません。
カメラ選びのポイントはこの記事で解説しています

ある程度、機材がそろったら、いったん区切りをつけて、撮ることに時間を使ってほしいと考えています。
撮影をしていると、「ここが少し不便だな」「もう少しこうできたら楽しいな」 という点が、自然と見えてきます。
「不便さ」や「もっと楽しみたい」という感覚は、被写体と向き合う本人にしか分かりません。
機材の弱点に気づき、解消していくことも写真の楽しさの一部です。
ただしそれは、性能差を比べて優劣を決める行為とは少し違い、今ある撮影体験を、より快適にするための調整に近いものだと考えています。
俺まぁ俺もカメラ好きだったことがあるから、あまり強くは言えないのだが

写真好きは、写真そのものが主役
写真好きの関心はとてもシンプルです。
- 何を撮りたいか
- どう表現したいか
- その一枚で何を残したいか
機材はあくまで手段であり、主役ではありません。
同じカメラを何年も使い続ける人も珍しくなく、 機材の話よりも、撮影体験や写真そのものの話で盛り上がります。
僕の撮影体験を言語化してみました!

写真は、自分のために撮るものです。
誰かに評価されるためでも、 数字を伸ばすためでも、 承認を集めるためでもありません。
他人の反応を完全に無視することは難しいですが、 それを目的にしてしまうと、写真は途端に息苦しくなります。
「どう見られるか」が先に立つと、 撮りたいものより、 ウケそうなものを選ぶようになります。
だからこのブログでは、 他人の評価を基準に写真を撮ることを勧めません。
写真は、 自分が何を感じたか、 何を残したかったのか、 その確認のために撮るものだと考えています。
この話は、SNSと切り離して語ることはできません。

俺このブログの写真は全て僕が感動したもの。他人にどう思われようが結構です。
自分のための写真は、評価を得るための競技でも、 成長を証明するための成果物でもありません。
もっと日常的で、もっと個人的で、もっと曖昧なものだと思っています。
とても小さく、曖昧な日常の中で感動を見つけることが、写真の最大の醍醐味ではないでしょうか。
写真で結果的に人生観が変わっていた話


