写真を見てほしくてブログを始めました。
やがて、ブログの閲覧数を伸ばすために、実際には使っていないカメラやレンズまで記事にするようになり、その頃から読者を騙しているような気分になってきました。
写真を始めたはずなのに、気づくとカメラカタログのスペックばかりを調べている。僕自身、そこからなかなか抜け出せませんでした。
数値で比較できる対象は、考えなくても答えが出ます。だから人はそこに逃げます。しかし、その先で写真が上手くなった人を、僕は一人も知りません。
逆に、写真そのものは全く別の性質を持っています。写真の話をするのは、美術や音楽を口で説明するように複雑で困難です。
だからこそ僕はあえてそこに飛び込みたいのです。
僕は”元”カメラ好きの、”現”写真好き。
カメラではなく、写真の面白さを。
機材を数字で戦わせるのではなく、撮ることそものものの体験や感動を。
01:思考の章 -カメラを買う前に読む-
多くのカメラブログは、必ずと言っていいほど性能比較から始まります。
センサーサイズ、解像度、連写性能、AF精度にダイナミックレンジなど。
しかし僕は、その前に考えたいことがあります。そのカメラを持って、どんな時間を過ごすのか。
僕が大切にしたいのは、数値ではなく撮影体験です。
- 自然とカバンに入れたくなる
- おっ!と思ったらサッと構えられる
- なにより楽しく撮影できる
スペックは確かに重要です。 ただしそれは、写真体験を快適にするための土台やインフラであって、主役ではありません。
数値が優れていても、持ち出されないカメラ。高性能でも、撮る気が削がれる操作感。
そうした経験を重ねるうちに、僕は「性能が高い=良いカメラ」ではないと考えるようになりました。
俺求めるのは自分が撮って楽しいカメラ。それだけ。

02:技術の章 -カメラを買ってから読む-
「カメラの操作における、最低限の知識」
そう考えた結果、たどり着いた答えは「露出」と「ピント」でした。
これさえ覚えておけば、写真は撮れます。
写真を撮るときに設定で思考を止めないこと。頭の中が操作で埋まり、被写体から意識が離れないようにすること。
いかに早く、自分の写したい露出とピントを出すか。これさえできれば、カメラの勉強はひと段落と言っても良いでしょう。
僕は撮影体験において、被写体への理解こそが最も重要だと考えています。
設定や操作は、あとからでも身につきます。ですが、被写体をどう見ているか、何に惹かれてシャッターを切っているのかは、誰かに教えてもらえるものではありません。
同じ場所、同じ時間、同じカメラで撮っても、写真が違って見えるのはそのためです。自分の被写体への距離感や関心の向け方が、そのまま写真に現れます。
神社で”見たことのある”写真をなぞっているうちは、まだまだ写真の入り口に立っている段階です。
同じ神社で写真を撮っていても、神社と空を撮る人、神社と庭を撮る人、庭と巫女を撮る人。みんながそれぞれに感動し、シャッターを押しているのです。
だから僕は、技術を覚えること以上に、それぞれが被写体を観察し、向き合う時間を大切にしてほしいと思っています。
俺みんなが立派な神社を撮る中で、ひとり足元の虫を撮っているのが俺です。

03:表現の章 -写真を撮ってから読む-
撮影体験の延長として、写真編集では正しく残すということを重要視しています。
ここで言う正しさとは、撮影したその瞬間に、自分が何を見て、何に心を動かされたのかを、できるだけ歪めずに残すことです。
インターネット上には、驚くようなビフォーアフターの写真が数多く並んでいます。確かに分かりやすく、インパクトもあります。
しかし僕にとって、編集とは正確に表現する工程です。
撮影時に感じた光の柔らかさや、空気の重さ、色の記憶。それらを後から誇張するのではなく、整えていく。
自分が感動した景色を、感動したそのままに表現する。もし編集で写真を上塗りしてしまえば、その感情は嘘になってしまいます。
写真編集は、シャッターを切ったときの判断や視線を、もう一度なぞり直すための時間です。
だからこそ、派手さよりも違和感のなさを。他人から見た綺麗よりも、自分の見た記憶に一番近い着地点を探すことを大切にしています。
俺編集で感動を足すのは、撮った景色や自分に対して無礼だ。

僕が守りたいのは、純粋な好奇心
SNSの普及によって、”写真はみんなで見る物”という定義が広まりつつありますが、僕は写真を撮るということは、本来もっと個人的で、自由なものだと思っています。
SNSなどの外部の影響を受けると、上手いか下手か、評価されるかされないか。どうしても、そういった外向きの尺度が付随します。
僕がこのブログで大切にしたいのは、自分の内側にある「好奇心」が、シャッターという形になって現れたもの。
自分がその場で何を見て、何に反応し、どんな距離でシャッターを切ったのか。その一連の選択と判断が、写真の中に残っていること。
それだけで、十分にそれは「表現」であり、守るべき好奇心の証だと考えています。
誰かに評価されなくてもいい。SNSで伸びなくても構わない。大切なのは、カメラとどんな時間を過ごしたのか。
撮影や編集が、日常にどんな変化をもたらしたのか。撮った本人が「良い撮影体験だった」と思えることです。
このブログには写真が上手くなるための近道は用意していません。
その代わり、写真と向き合い続けるための楽しい遠回りの道を示す場所でありたいと考えています。
俺細かいことはいいからさぁ!写真撮りに行こうぜ!写真!!
