フルサイズを買ってわかった、APS-C時代には得られなかった心の余裕

「フルサイズが必要か?」と問われれば、答えは微妙です。しかし、そんな微妙なフルサイズが、僕の撮影姿勢を大きく変えてくれました。

フルサイズではなくても写真は撮れますし、楽しむことも、上達することも可能です。

僕自身、フルサイズの性能を本当に必要とするのは、画質が表現の生死を分けるポートレートやネイチャーのような、極めて限定的な場面だけだと思っています。

今のフルサイズ機が壊れれば買い直しますが、最新モデルを追いかける気は毛頭ありません。機材としての性能には、現在のスペックで満足しています。

確かにフルサイズは便利です。しかし、手にしたからといって、撮影体験や感動が劇的に跳ね上がるわけではありません。

僕が手に入れたのは、スペック表には載らない、もっと泥臭いものでした。

「心の余裕」という名の、免罪符です。

APS-C→フルサイズ→MFTと使ってきました。

コンプレックスという名の重り

APS-Cしか持っていなかった頃、撮影地でフルサイズを抱えた愛好家たちに囲まれると、決まって萎縮していました。

オモチャのような機材で真剣に構える自分が、他人に比べて覚悟が足りない「ハンパなやつ」に見えていないか。そんな下らないことを、無意識に気にしていたのです。

構図や光を考える前に、隣のフルサイズを見て自分のチープなカメラが嫌になる。今思えば、本当に情けない話です。

ですが、フルサイズを手にした今、隣に誰がいようと心は凪いでいます。

この安心感は、たった一台のフルサイズ機がもたらした心理的勝利です。

他人の目ばかりを気にしていた自分から解放され、ようやくレンズの先にある被写体と向き合えるようになりました。

隣のフルサイズ機と、脳内でスペックバトルを送る不毛な日々。

フルサイズは、上達のための道具ではない

フルサイズを手にしてよかった理由を、画質やダイナミックレンジの広さで語るのは簡単です。

ですが、あえて厳しい言い方をするなら、「フルサイズを買っても、写真は1ミリも上手くならない」。これが事実です。

解像度が上がろうが、ノイズが減ろうが、それは単なる「道具の性能」に過ぎません。

構図を練り、光を読み、シャッターを切るという孤独な判断を、カメラが肩代わりしてくれることはあり得ないのです。

操作性が快適になり、高精度なAFでピンボケの不安が消える。確かに撮影のストレスは減ります。

ですがそれは、同時に「失敗の言い訳」が一つずつ潰されていく過程でもあります。

あまり気にしていなかったけど、フルサイズを持ってて写真が下手だと恥ずかしいな…

写真の楽しさは、センサーサイズだけでは決まりません。

「自分の心」のために買う

僕は「カメラがストレスなら更新するべきタイミング」だと考えています。この考え方に従うなら、僕のフルサイズの購入は間違った選択とはいえません。

フルサイズは、写真を上手くするための魔法ではありません。

僕にとっては、自分の中にある「迷い」や「比較」という不毛なノイズを、力技で黙らせるための装置でした。

今の僕に、フルサイズは「必須」ではありません

ですが、あの時にフルサイズを手にしていなければ、今の僕は存在しません

コンプレックスを金で解決し、心に余裕を作ったからこそ、ようやく「写真で遊ぶ」スタートラインに立てたのだと感じています。

もし、あなたがかつての僕のように、機材の差に心を削られているのなら、その迷いを終わらせるために、フルサイズを購入してみる価値はあるかもしれません。

フルサイズの30万はただの授業料。しかし払う価値はあった。と今でも思っている

カメラに不満が出たときが買い替えのタイミングです

いいから、カメラ持って外行こうぜ!

俺のデジモノ手記


01 思考の章

写真は、楽しければ良い


02 技術の章

カメラで、遊ぶ


03 表現の章

「誰か」の真似は、もう終わり


04 結実の章

今の僕の答え


付録

使用機材とカメラ設定